家族は一つの舟に乗る その2

まずはお知らせ。

明日17日は11時からZOOMでタロット練習会です。残席あります。
平日ですがご都合の合う方は是非気軽にご参加ください。あれやこれやをタロットで占いましょう!
何かお題を持ってきてね。

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夜は有元先生と21:30からツイキャスです。
金曜日の満月の話をはじめ適当に(?)話します。何かネタをくれると喜びます。

だいぶ間が空きましたが、こちらの記事の続き。


きょうだいというのは、自分の意志とは全く無関係に存在します。
大変ぶっちゃけた言い方かもしれないけど、親のエゴで作っておいて無責任に「仲良くやってね、助け合ってね、うまくやってね」って言うところはありますね。ある種の呪いみたいなものかもしれません。


私は親としての立場もあります。
3人子供がいて、子供と言えど相性というのは確かにある。あるけど愛は平等にと心掛けてはいるけど、「同じように扱う」ことがイコール平等ではない、とも思ってます。
算命学ではすごくハッキリ出てしまうけど、「こう育てたほうが合う」というのは同じきょうだいでも全然違うから。
でもその結果子供自身がどう感じるかは別問題だから怖い。

子供たちを見ていると、きょうだいの存在は遊び相手でもあり、同士でもあり、熾烈なライバルでもあるなとつくづく思いました。実にエキサイティングな存在であり、プラスの影響力は計り知れません。

ただマイナスに働くときも本当に多いです。どうしても比較の対象になりやすいし、年が違うと同じ環境で育つことも多いのでどちらかに合わないこともある。
子供のころはともかく、年を取ってそれこそ「それぞれの舟」に乗ってからのトラブルの方が根が深い。
他人から見ると「そんなことが?」ということが奥の深い所にあって、きょうだいだからこそ許せない。

私はきょうだいというのは「直列つなぎ」じゃなくて「並列つなぎ」だと思っていて(電池じゃないけど)、確かに繋がりはあって短いかもしれないけど一緒に暮らしたりするので特別ではあるけど、あくまで「並列」。
ある程度の切り分けはあっていいというか然るべき←別に「仲が悪くあれ」という意味ではないですよ。
「もう別の舟なんだ」という線を引くだけです。
それは寂しく感じるかもしれないし、無慈悲に感じることもあるかもしれない。けど、しょうがない。

家族は一つの舟に乗るのだから、「船長」である親の責任は大きいと思います(全てではないけど)
その時の感情だけで接して「察し合ってうまくやってね」じゃしょうがない。もちろんきょうだいがいなくて「あなたがなんとかしてくれるでしょ」「よきにはからえ」でもしょうがない。
上にも書いたけど、親の呪いというものはきっと子供にはとてつもなく重いのだ。

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