進路を決めるのに必要なこと?

暑い日が続いてますね。日本はすでに亜熱帯。

昨日は中学の体育館で行事と進路の説明会があったのですが、途中でもたないのを感じて半分の時間で戦線離脱しました。
暑いのはわかっていたのでお茶を持ってきてたのですが、お茶ではダメだった・・・汗の出方がおかしくて手がビリビリ痺れてきちゃったのでした。

保健室で少し涼ませてもらってから帰りましたが、10年前に長男の受験する高校を見学に行った時も体育館でやられて保健室に行ったのを思い出しました。
本当に暑いのに弱い・・・なんだか未来の死因を予測してしまいました。

進路説明会はほぼ聞けず。
まあ資料はもらったし、なんとかなる。

 

 

今日は娘と某学校見学の説明会と体験入学に出かけました。
今日も殺人的な陽射しで、ホントに辛い🥵

娘と話して、とりあえずはちょっと変わりダネの学校を見学してます。ちょっと特殊なカリキュラムだったり、専門性が高かったり。娘は結構気に入っているようです。
私もそれでいいとは思いつつも、やはり「もうちょっと一般的な方がいいのか」とかふと思ったりもします。進路って難しいですよね。つい勉強したことがなるべく将来に結びついてくれと思ってしまいますが・・・でも直結していないだけで役に立つことは山ほどあるし。
何が本当の本人のためになるのか、迷います。

 

次男は高校受験の時、自分の成績よりはるか高いレベルの学校を志望しました。
レベルが1つ上ならまだしも2つくらいは上(笑)願書出した後に1回なら変更できるので「さすがにこれは無理だと思う。変えたらどうか」と変更期限前日に提案しましたが「俺の行きたいところは俺が決める!!落ちる覚悟はある!!」とケンカ(ってほどではないが)になり「そこまでいうならよし」と受けて、予測通り落ちました。
こういうところが戌亥天中殺のヤツだと思う。
しかし大学生になったくらいに「あのときは『俺は絶対○○校を受ける』っていったよね~~」と昔話をしたら「俺なんであの時○○校に行きたいといったかよくわからない。まあ今がいいから別にいいんだけど」といわれて愕然。そんなものだったのか・・・
あの時の母の気持ちはどこへとも思うが、まあ自分で決める、ということが大事なんでしょうか。過去に遺恨は残させないようにってことか。

 

昨日の会話。


「自我が強い」という言葉が出てちょっとびっくりしました。そんな言葉を使う年なんですね。そして自覚あるのねw
見学に行くと最後にアンケートを渡されるのですが、今日の学校は「保護者様のご希望の学校は?」みたいな欄があったんですが(子供には子供用のアンケートが渡される)、「希望は無い。本人次第」と書きました(笑)

そう、私は娘の自我の強さにはかなわないことの自覚はあります。あまりに現状とかけ離れていたり、行くところが社会的にとか経営的にマズイということがなければ後押ししてやるしかないのでありましょう。

 

* * *

 

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