「可哀想」と言わないで

最近人と話して思い出したことです。
まあ戯言ですが許してください。

子供の頃、といっても十代のころですが育った家庭はてんやわんや(死語?)でした。
探せばここ(ブログ)に色々書いてありますが、夢見がちな父が色々やらかして家は無くなって親戚の中を逃げまわったり、当然金は無く金が無ければ争いだらけだし、まあ家絡み親絡みではなかなかハードでした。

それでも子供だった私には周りに人達はなんとかしようといろいろしてくれて、奨学金は借りたけど高校も大学も行かせてもらえました。
特に高校の方が大変な時期だったので本当に無理かと思ってて、合格発表のその日は雪が降っていて(その年は寒くてよく雪が降ってました)鉛色の空から落ちてくる雪を眺めながら安堵して泣きながら帰りました。
なんでも忘れてしまう私には珍しく、私の記憶に残っています。

特に叔母(父の妹)は本当に私と妹を心配して何くれとなく面倒を見てくれました。特に経済面!!!
今でもです。叔母には頭が上がりません。

ただよく
「○○(私の名前)には本当に可哀想なことをしたね」
言われるのはなんだかな~って。1~2回くらいならまあそうねと思うけど、何度も言われるときつい。
※なぜか父母には言われたことは無い 特に父は一回くらい言ってもいいと思う

いや大変だったけど
別に不幸じゃないし!!

って毎回思ったし、「別に可哀想じゃないよ」と叔母に言ってた。そりゃ嫌なことは山ほどあったけど!!
言われると私を可哀想な子にされるような気がしたのです。

叔母はおそらく「罪悪感」のようなものを持っていたのだろうと思います。叔母には何の責任も落ち度もないのに。
かなりの年になるまで言われましたね。三十半ばくらいまで言われたでしょうか。
いまはもう言われなくなったので叔母の呪縛?が解けたのかもしれません。

「守る立場」と「守られるべき立場」だと感じ方が違うというのも親の視点からするとあります。
ただ子供の立場からすると、あまり罪悪感を持たないでほしい。持たれてもなんっともできないし、こっちの力を信じてくれよって感じです。

まあ私は意外とずうずうしいからそう思えるのかもしれないですけどね。

もうだいぶ前の話ですが、長男が小学校1年のときに転勤になったとき。
10月の転勤だったので、いままでいた小学校では運動会をまだやっていなくて(運動会の練習中に転校した)、新しく行った学校では運動会がもう春に終わってしまっていて、長男の1年生の運動会は無くなってしまいました。
当時は「親の転勤のせいで1年生の運動会がなくなってしまった・・・」と、可哀想なことをしてしまったと結構私はショックを受けていたんです。

が、数年たったころには「運動会1つなくなっても別にどうということもないじゃん。なんであの時はショックだったんだ」と思いました。バカでは私。当日風邪ひいて休めば転校しなくったって無いじゃん・・・
まあ時間が経たないと人は物事を大きな目で見れないもんなんですな。その時は必死で近視みたいになっているのだ。

何事も、ある程度は時間が解決してくれるのでしょう。あせらず、ゆっくりいきましょう。

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