教えるには順序がある

今日は易の話から始めます。
「山水蒙(さんすいもう)」です。

山の下に水がある。山のふもとに霧が立ち込めていて、進む前が朦朧としてよく見えない、はっきりしない状況です。

「蒙」には
「幼い者、まだ道理に暗い子供」「道理に通じない、愚か」
という意味があります。
啓蒙という言葉は「蒙」を「啓く(ひらく)」ということ。

 

行先がはっきりしない、足元がもやもやしてよく見えない、そういう卦ですが「誰かに教えを乞うて導いてもらえばうまく行きやすい」という、教育の卦でもあります。
実際にお客さんを占って「実はこんな年ですが、今から学校に入ろうと考えてました」なんてときに出たりします。

 

 

私が勉強した時に面白いな、と思ったのは
「教えてやるから来い」と先生が言うのではなく、「教えてください」と生徒が乞うのが本当は正しい
というのが山水蒙の解説のところに書いてあることです。勝手に教えちゃダメなのね。

あらヤダ、講座で「教えるから来い」ってさんざん宣伝しちゃっているじゃない!
とは思うけど、まあ黙って生徒さんが集まるほどの大人物では私はないので易の神様には片目をつぶってもらうしかない。
それ以前にこのブログからして勝手にしゃべっているものなので怒られそうですけど。

 

 

 

この卦を見ると、少し前に話題になった「教え魔」の話を思い出します。

私はスポーツはあまりしませんが、ボーリングやフィットネスジムとかには「お局様」的な人物がいてあーだこーだ指図するような人は確かにいそうです。容易に想像できる・・・「着物警察」なんかも同類でしょう。
山水蒙の教えに従えば「教えて」と乞われたら応じる、のが◎。古代中国にも教え魔はきっといたんだろうとか推測しちゃったりする。

 

スポーツじゃなくても日常でもありますよね、きっと。
別に「いいもの(いいやり方)を知っていたら教えて!」なんて一言も言っていないのに、したり顔で「これいいですよ」とか「こういうふうにするといいよ」とか言ってくる人。
基本的には純粋に善意やサービス精神、お役に立ちたいという所から発しているのでしょうが、時と場合によってはウザいと思う(汗)

 

 

そしてこれは占いでもやりがちなのでちょっと注意です。
私も仕事ではさすがにやりようはないけど(お金を払わない人を占うなんてありえないというか、そんな状況は生まれにくい)、家庭内だとやりたくなることがあります。特に子供たちはあまり占いに興味が無いので言わないようにしているけどムズムズすることがあります(夫は占いが結構好きなのでそれほど気にしないが)。

別に興味もないことを基準にあーだこーだ言われることのイヤさはわかっているのに(昔父にハンコの良さを説かれた)同じことをやりかねないのは私って愚か・・・

 

 

立場が入れ替わると見えなくなることはありますね!
「教えを乞われたら」大事です。

 

 

明日13日は易の読み会が11時からあります。
八卦の仕組みがなんとなくでもわかっていたらOK。ぜひ色々占いながら読めるようになりましょう。

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