呪いを断つ

今日のウラナイ8のデイリーメッセージは翡翠先生のコラム。翡翠先生のコラムは毎週かかさず読む方も多いのでは?
先日の配信イベントの時の「運」の話題に触れています。

イベントの時には私の親族の昔の話を持ち出したのですが(有料コンテンツなので詳細は控えますが)親や兄弟、親せきなど自分のバックグラウンドとなる部分の影響は大きく、のちのちまでひきずることはあります。

 

私が周りで見てきた不幸な事例は「基本的に地盤に貧乏が横たわってる」みたいなものが多数!だったので、昔流行った「動物のお医者さん」というマンガで菱沼さんという女性が言う

「貧乏ということそれ自体が失敗の元なのよ~経験によると~」

というセリフに「そうそう!!その通りだよ😢」といたく思っていましたが、こういう仕事をすると「お金があり過ぎるから不幸」という例も大量にあるのねというのを実感しました。お金って難しいね・・・無くてもあっても殺人くらい簡単に起きますから。

 

自分のバックグラウンドは傍から見ても「それは大変だね」というようなものだと勿論大変なんですが、意外と一見「善きもの」であるものがその人の「重し」になることもよくあるのだろうと思います。例えば今はもしかしたら減っているかもしれませんが「家を継ぐ(跡を継ぐ)」とか「名字を残す」ようなことや、「親を見ないといけない」みたいな想いなどです。

うちは今回「遺産相続」の問題があったのですが、例えば私たちがこの先使わないんじゃないかと思われる田んぼや畑があったとしても、「ぱっと売り払っちゃえ~~~♪」というのは、さすがの私でもちょっと心理的にどうなの?というところがある。
もう自分の後はいないとか、もう売り払うしか生きていくためのお金がないというならまだしも、自分が管理するのが面倒だという理由で売り払うのはなんか誰か(ご先祖様??)に怒られる気がする・・・(まずはダンナが売りませんが)

 

つながってきたものはたまに「重し」になりますね。
翡翠先生のコラムのタイトルではないですが「呪い」と言い換えてもいいのだろう。

 

ただ「こうするんだ!」と決めたのは天からおふれが降ってきた訳じゃなくて、ただの人間が決めたんだからそれを断ってもいいよねとも思うんです。おそらく大部分の話はそんな大昔に決めたものではないはず。
どうしても人は自分がやってきた道しか知らないから子供や子孫に「同様に」とさせるのが安心でもあるし、自分のしてきた道の肯定にもつながるのでそうしたくなると思うのですが、以前の善きことが今の善きこととは本当に限らなくなりました。

 

上にも書きましたがどうしようもない悪いものや壊れたものは却って諦めや覚悟がしやすいけど、そうでないものは抵抗が残ります。
が、もっと色々なことを「断っていく」ことは大事だと思うのです。多分これからの時代はもっと。
一気に一刀両断しなくても、自分のキャパを考えてまずは余計な枝葉を落としていくところからでもいい。人が作ったルールは人が変えていいはずじゃない?軽いですかね。

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