日座中殺(日干支が甲戌、乙亥)、日居中殺(日干支が甲辰、乙巳)の方とお話することが結構あるような気がします。
いや気のせいではないと思う。
なんでかな~と考えたら、私のお客さんは日干が甲、乙の人の割合が多めだからじゃないのでしょうか(皆さん戊=山の私になんとか生えようとするのかも・・・)自然と確率は高まるはずです。
陰占には色々な見方がありますが、その人の生まれた年の部分が「始まり」で、生まれた月の部分は「経過」、生まれた日の部分は「終わり」とする見方があります。
これら日座中殺や日居中殺、または生日中殺のように、「生まれた日」の場所が「中殺」とされる人はこの場所の意味である「終わり」がうまくいかない傾向があります。
そんな感じです。
私もこの「終わりがうまくいかない」族なので、去年トナカイを辞める時も、7月に閉店するのがわかってたのに5月で中退(?)してしまいました。何人も「7月までいればいいのに」と言われたし、まつい先生や有元先生に迷惑をかけたけど、でも5月って決めちゃったんだもん・・・
(ちなみに生年中殺だと「始まり」がスムーズにいかない、ってことです。なので私は始まりも終わりもまとまらない~~)
こういうふうに「終わりがうまくいかない」なら「終わりがない世界」だったら問題がないのです。
ゴールや枠があるところだと失敗するので、それがない分野、たとえば音楽や絵画などの芸術分野、勉強や研究、宗教や精神世界のようなキリの無い世界なら終わりようがないから失敗もない。
ただその代わり一生不満足なのかもしれません。
どこまでいっても不完全、どこまでいっても新人で未熟者。それはそれで楽しい世界かと思いませんか。
現実的にまとめなければいけないことは、可能なことは他の人に渡せばいいのです(終わりやまとめがうまい族もちゃんといます)手柄にはならないのかもしれませんが、それはそれでよくない?無いものは無いんだからしょうがない(その代わりに有しているものもちゃんとあるはずですし)
ということで、「終わりがうまくいかない族(とくに日座中殺)」にはあえて「終わりがない世界」への適性を説きたい。
持っていないものは大変魅力的に映りますが(涙)、ないものはないと割り切った方がうまく回ります。