ここ7〜8年でしょうか、「自分がすごく変わった」と思うことがあります。
それは
心配性になった
ということです。
私はそもそもは全然心配するほうではなかったのに、急にあれこれ心配だなと思うことが増えました。自分でもよくわかります。
きっかけはわかっている。
息子達が運転免許を取って車に乗るようになったことです。
若い時は事故を起こすともらうを繰り返していた自分を思うとさすがにこんな恐ろしいことがあろうか(さすがに今は全然平気ですが次は娘かと思うと更に恐ろしい)
そして今年は私は禄存星が回って来ているのですが、そのせいか心配ゴコロがヒートアップしている気がします。
(来年は司禄なので更にアップしそう 心配と言えば司禄星)
思うに心配するというのは
「手放したくないものがある」
という欲から生まれるのだなあ・・・
せっかくここまでやってきたのにとか、大事にしてきたものがあるのにとか、そんな気持ちが「失いたくない」となって勝手にヤキモキしてしまう。
多分昔はそういう気持ちが薄かったのだ・・・
しかしそう思っても不安や心配はなくならない。
心配って辛いし、それを心配の相手にぶつけてもいいことはいい顔をされないことも多い。むくわれん。
うちの母@禄存星中殺は心配性のタイトルホルダーと言うくらいの心配性ですが、多分今の私と同じ位の歳のときに、未来をあれこれ心配して悲観するあまりちょっとおかしくなっていたことがあります。多分更年期もあったのでしょう。
当時の私は「なぜそこまで不安なの?」と首を捻っていましたが今ではその時のお母さんの気持ちが結構わかる。人はその年になってみないとわからないことだらけだ。
私は今後天的に(?)心配性ですが、性格的に心配性の人も沢山いると思います。
私がおしゃべりなのが変わらないように、きっと心配性が楽天的になることもないでしょう。
なってみて思ったのはやっぱりヒマだと心配は増える。
やることや興味のベクトルを増やして比重を減らすしかないのだ。リスク分散ですね。
ただ言うは易し行うは難し。
でも手放したくないものがあるということは、私は幸せになったんだなあとも思います。
何もない人は心配もありませんよね。