自分の中の飢えを発見する

今日は下北沢での鑑定でした。
予約が無くて「今日は作業DAYかなーー」と思っていましたが問い合わせが次いで忙しく過ごしました。
ありがとうございました。
来月は2/10の予定です。またどうぞよろしくお願いいたします。

今日は私が抱えているテーマと被る部分があるお客さんがいらした気がします。
お客さんに言う言葉がブーメランになって私に返ってきました。
「いや私が言っても説得力がないかもしれないけど・・・(笑)」って感じです。

占いをやって(特に仕事にして)気づいたことの一つに
「子供~若い頃の環境の影響は絶大」
というのがあります。
そりゃあたりまえじゃん?って感じですがここまで強く、且つひきずるものなのか、と。
もちろん生来の性質、たとえばこういう命式で生まれました、というのは勿論基本なのですが、どんな親で、きょうだい関係はどうで、どういう境遇(たとえば裕福なのか貧乏なのかなど)で受ける影響は全然違います。

そういう影響が一つずつ積み重なって、今の自分がいる。
一つ一つは目にはハッキリ視えなかったりしますが、まちがいなく存在して今の自分を構成している。
そういうことをこの頃とても意識します。振り返ってる。もう土星期だってのに遅いかな。

私は色々ぶっとばして生きてきた、という自負(?)があるのですが、ここにきてスピードが急激に落ちて振り返る余裕ができた・・・いやできてしまったというか・・・

私がまず思ったのは
「若い頃の私はガマンばかりで可哀想では・・・?」
ということです。普通のことができてない。
確かに私の10代後半~30才くらいまではシナリオがおかしい!!!ガマンしちゃう事情も積み重なっていたのだ。複雑で書けないけど。
でも当時は必死でそんなことは微塵も思わなかったし、可哀想と言われることはあっても「失礼な!可哀想なんかじゃない!!」ってちょっと怒ってた。憐れまれるのはイヤでしたし。

でも今、離れたところから振り返ってみると、飢えているような小さい自分がいる。
色々な意味で泣けます。根っこが不全のまま大きくなっちゃったというんでしょうか。

こういう振り返る瞬間というのは誰にでも訪れるものなのかもしれないと今日の鑑定でも思いました。
階段の踊り場のような空間。
そしてその中で「自分の中の飢え」を発見するのかも。「渇望感」というのでしょうか。

色々積み重なって出来上がった「飢え」なのでほいっと解決にはなりませんね。
自分の中の飢えを自分で満たして、ある程度の落とし前をつけるのが土星期なのかもしれん・・・



この記事を書いた人
SNSでフォローする