金持ちを呪っていた頃

今日は高校時代の友人に会いに伊豆に行って来ました。
普段の友人関係が寸断寸前の私には年に一度の大変ありがたいイベント。今年はいつもの日干丙の調舒星+天将星の友人(気のせいかこのパターンの友人知人多し)だけでしたが来てくれて嬉しい。

母のところに寄ってから夕方車で帰るときに、辺りは暗いのに山の中腹にだけ陽が当たっていて、陽の当たりかたが変わってるなと思っていたら巨大な虹が現れました。
それも2つ!ダブルレインボー🌈🌈

それも一部ではなく、虹の橋(?)が全然見えるのです。虹のたもとまでクッキリ見える!色も濃くて理科のプリズムの実験のようでした。

沢山の車が脇に停車して皆写真を撮っていました。私もやりたかったけど場所の問題で断念。
信号が赤の時にフロントガラス越しにしか撮れませんでしたが、それでこれだけ映るなら実物はどれだけ鮮やかだったかわかると思います。
虹🌈はこのHPのアイコン!Luckyの象徴ということでありがたく掲載します。

* * *

正月早々宣伝をせねばと思っていましたが、今日は大昔の話に花が咲いたのでその話。自分語りなので注意。

 

高校生、大学生のころ・・・そのころ私は

金がなかった(-“”-;)

これは私の問題ではなく親の問題だったのでシンプルにしょうがない。しかし当然影響は大きい。
お金というのは本当に難しくて、ありすぎても揉めるけど(こちらは私の周りではあまり見ない)無いのも当然諸悪の根源であります。家庭状況は最悪でした。「貧しくても家族肩寄せあって」なんて100%絵空事だ。
しかし親戚をたらい回しみたいな時期がしばらくあったので、その時を思うとまだ家族で住む方がはるかにましだったのでした。
とりあえず家からは離れたかった。一刻も早く合理的に独立したかったです。ぐれている暇はなかった。
私は10代のほとんどが石門星大運。今書いてみるとそれっぽいですね。

(今思えばあんなに貧乏だったのだし、と今日母に「生活保護とかの支援は受けてたの?」と聞いたら「そこまで頭が回らなかった」とのこと。まあそうよね・・・昔だとそういうのはあまり馴染みがなかったのかも)

 

大学は運よく安い授業料のところへ推薦で入りました(私は受験の運はめちゃくちゃ強い:インド占星術でも言われた)本当はそんな状況ではなかったと思うけど私が成績がよかったのと周りの「手に職をつけさせたい」想いがあったのだと思います。←これはこれで後で大変なプレッシャーを産むのだが。
母が人の3倍くらい働いてお金を出してくれましたがこっちも必死にバイトしました。理系は授業がみっちりあるのでなかなか難しく4年次は早朝バイトを入れて授業は寝てた。

たまに「なんでこんなにお金に苦労しないとなんないのーー!!どうして自分だけこんな目に会うかわからない!!お金持ちの連中が許せない💢💢」とワケわからん怒りを爆発させて部屋のなかで世の中を呪ってました。いやもうお金持ちといわずそのへんのお友達が理由もなく羨ましくて憎かった。
よく若いときは苦労、っていいますが度を過ぎる苦労は人を荒ませるわーーとも思った・・が、お金持ちを呪う関連は一切ないですよ。ただの八つ当たりです。
でもそういうときもあってしょうがないじゃん(としか言えない)・・・
これは20代の貫索星・天将星大運のころ。元の命式に土が多い私に土が強い時はあまり良くないのでしょう。エネルギーに振り回されて陰転、でしたかね。
自分の出した瘴気を吸ってまた悪くなる、みたいな20代で様々な方向から滅茶苦茶でした。自家中毒。

大学時代は旅行なんかも一切行かなかったなあ。バブルのころだったのに。あ、パチンコは行ったわ(笑)でもつぎ込んだといっても当時のレベルの話。

今はもうあれからかなり時間が流れて、全然お金は貯まらないけど(学費でピーピーよ)、とりあえずお金でケンカすることのない生活を作れてそれで上等、と思う。
私はお金に関しては意外と慎重なのだ。うちの母はあまりに貧乏性でつい笑ってしまうのだが、私にも貧乏性が張り付いていて多分一生抜けない。
多分鑑定でもすごく滲み出ていてつまらん鑑定かもしらん。

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