9年前の今日

今日で東日本大震災から9年ですね。
震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

私はあの地震があった3月の末に神奈川に引っ越してきたので、神奈川に来て9年になるんだなあ、とも思います。
結婚してから住んでいた場所の中で一番長くなりました。年を取ると慣れがどんどん遅くなるがさすがに慣れたと思う。

月末に引っ越したということは、震災の日は私は中部地方に住んでいたのでそちらの被災はまったくもってなかったのですが、ところがどうしてその日に限って私は神奈川にいて地震に会いました(そういうところが本当に私っぽい)。その時の大変私的な話。

その日は長男が春から通う高校の入学説明会だったのでした。朝から長男と二人で新幹線に乗ってきていました。
説明会が終わった後、やはりたまたまその日こちらに出張だった夫と待ち合わせて、春から住む予定の家を見に行きました。新築の家(賃貸)でもうかなりできていて、あともうちょっとって感じでした。

じゃあ帰ろうかと、片瀬江ノ島駅から藤沢駅に向かう小田急線の中で、あの地震が起こりました。
電車は地震を感知したのかすぐ止まりましたが、線路の上でメトロノームのように揺れる揺れる!!!車内は空いていましたがみんな悲鳴を上げていました。
揺れが収まって、しばらくそこに停車している間にスマホでしらべて東北で地震、というのはわかりました。私はそのころまだ都会の電車についてあまりわかってなくて「ちょっとすればまた動くだろう」と思っていましたが、慣れた夫が「まずい、家に帰れないかも」と言い出しました。

そうなの??と半信半疑でしたがなかなか電車はそのあと動かず、それでもしばらくしたら「藤沢駅までは行きます」と電車は動いたので、とりあえず藤沢駅で電車からは出られるし、JRもそのうち動くでしょ・・・とたかをくくっていましたが(今考えると当然ですが)全然動かない。

 

まずい!と思ったのは保育園に預けた娘(当時は保育園の年中さん)でした。次男は当時中一だったので心配はない。
だれかに連絡して・・・と考えましたが、もうすでに電話がつながらない。どうしようかと思いましたが、勤めていた薬局の事務さんが「○○さんいま神奈川行ってるよね」と気を回してくれて保育園などに連絡を入れてくれたり(あとで電話が繋がった)実際迎えにいって家まで乗せて帰ってくれました。

かなりの間「JR動かないかな」と駅でずっと待っていましたが、そのうち駅の大きなテレビで津波の映像や被害のニュースが流れました。その場にいる人達がみな無言で見つめていました。
もうこれは電車が動くなんて状態じゃない・・・

 

 

夕方になり、もう何か食べて、どこか寝るところを探さないといけないのですが土地勘もほぼゼロ。知り合いも当然いない。
適当に街を歩いたら開いている居酒屋?があったので3人で入って少し食べて、そのあと駅に戻ったら「体育館を開放しています」と叫んでいる人がいました。
話を聞くと市役所の人で、電車が止まって帰れない人を泊めてくれるというので「それは行こう」となって、道を聞いて体育館に向かいました。

そこで薄い毛布を一人一枚貸してもらい、体育館のフロアで寝ました。同じように帰れなくなった人が来てフロアーはいっぱいでした。床は当然固いし、余震は来るし、余震の以前に大勢の人のスマホのアラーム(あの不穏な!)が鳴り響くのが本当に心臓に悪かった・・・けど、寝るところがあって本当に助かりました。

次の日、お昼くらいになったらJR下りは動いたので帰れました。途中が不通の場所もありましたがなんとかバスでつないでいって、夕方にはついたでしょうか。家では次男が永谷園の煮込みラーメンを作って娘にご飯をたべさせ、お風呂にいれて、一緒に寝てくれたようです。えらい。煮込みラーメンがあってよかった。

地震の後にまた問題が起きました。
「引っ越す家の工事が遅れるんじゃないか?」という不安が地震直後からあったのですが、的中。
問題はお風呂の浴槽だと言われました。メーカーが東北にあってラインが動かなくなって、いつ完成するかわからないので引き渡せないと言われました。
(いまコロナで似たような状況があるみたいですね)

転勤なので会社は「期日までに入れないなら他のところを探してください」となるんですが、3月末に引っ越すのに3月半ばをこえてから改めて家を探すのか?新しい保育園も中学校ももう手はずを整えたのに?今住んでいる家はもう引き払うことになってるのに??

 

あちこちに連絡して話を聞きまくって、夫と話して、「会社等に交渉してギリギリ完成を待とう」となりました。
こんな時期なんだから融通もある程度は効くはず!いいくるめてやる(ウソ)!!

まずは今の大家さんに頼んで引き渡しを伸ばしてもらう(これは可能だった)→神奈川の新しい家の近くに安くて小さめのアパートを借りて最小限の荷物を運びギリギリまでそこで暮らしながら完成を待つ という案でした。
不動産屋さんも融通してくれて無事アパートを借り、なるべくお金を抑えるため自家用車で行き来して荷物を運び、何にもない家で5人で住んでみんな新しい職場や学校に行き始めました。
冷蔵庫だけは小さいのを買いましたが、洗濯はコインランドリーへ(5人分持ち運びがきつかった・・・)、料理はIHヒーターを床に置いて作りました。テレビはなしでラジオで暮らす。

地震の後からずっとこんなんで必死で自分のことで目いっぱいで「器の小さい人間・・・」とよく思いました。被災地の人に思いを馳せる余裕は全然!なかったです・・・でも私は自分が安定しないままよそは助けられない・・・

 

 

私の神奈川県のイメージは最初はすごく暗かった。精神的にも物理的にも。電気がなかったからスーパーは暗いし道も暗いし、世の中がどうなってしまうんだろうというムードが蔓延していた。最初に行った派遣先は全然人と話せないし。ひどい所に来てしまったという第一印象みたいなのはあって泣いたり愚痴をこぼしてたりしました。
9年経つとまたその時とは違いますね。私はいつもよそ者なのでよそ者の視点で見ていますが、いい所も悪い所もある。どんな悪い時があっても人は生きていくし、少しづつ変わっていくものですね。

 

結局家は3か月後には完成して入居できました。そこでもう一回メインの引っ越しで本当に死にました・・・
その案に会社がOKを出した期限の本当にギリギリでした。
私はね~~~、九死に一生タイプというか、すごく賭けには強いんです。賭けが大きければ大きいほど強いようです。根拠はないけど「いけるはず!」と思っていました(万人にはオススメしません)。

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