パーツとして生きる

12月に入りましたね。
皆様いかがお過ごしでしょうか。

まずは年末ということで、新しい年を占う「年運鑑定」のメニューをアップしました。
期間限定イメージ画のメニューもあります。
次の年の計画を一緒に考えましょう。お申し込みをお待ちしてます→

こちらは練習会。
9日(木)の易の読み会は新宿で開催が決定しました。会場の都合で15分前倒しに始めますのでご了承ください。

年も迫った12月26日はタロットの練習会ですが、「拡大版!タロット練習会」として新宿で少し大きめの会場で行います。
定員も増やしますし、「お題」を出してくださるお客様役も募集しようと思います。
こちらはまた別でお知らせをアップしますのでよろしくお願いいたします。


2日(木)は九星気学の講座の3回目でした。これにて終了。
ご参加の皆様どうもお疲れさまでした。
今回はネチネチ吉の方位や時期を考える内容でした。私もお供でずーっと学んでいるので、年運鑑定では吉方位を見るオプションを付けてみました。ご興味のある方はぜひどうぞ。

「自分の苦手な方位(その象徴)は?」という話が翡翠先生から出て、私は北(一白水星)だと思いました。
まあ理由は色々あるのですが・・・その方向を補うのもいい、という話と、講座の後に翡翠先生に「今○○が一番の案件なんですけど、これはどの方位の話ですかね?」と聞いたら「それは北ね!」とズバリお答えが。

暦を眺めていたら来月(子月)より今月(亥月)のほうが北は良いと判断して、思い立ったが吉日、昨日出かけてきました。
地図を見たら埼玉の大宮とか川越辺りが北なので、電車で1本で行けるわ!とトコトコ出かけて、ご飯を食べて、神社をおすすめされたのでそこまで行ってきました。私は神社とかそちら方面は全然興味も薄く詳しくないので良いと言われたら行ってみる。

全然詳しくなくても神社は木々の手入れが素晴らしく空気がきれいなのはわかります。
こういうところは気持ちがいいですね。おみくじは吉でしたが、私には涙がでるほどよくて元気がでました。それだけでも来てよかった。
「動いてみよう」という気持ちと、それを実行してみるという精神が物事を動かす、というのが吉方位で開運というものの根底にあるのだと思います。吉方に行ったから運が転がり込むわけではない。

全く話は変わるけど、昔まつい先生がトナカイのお店日記に「京都の某神社」について書いています。
「その某神社は裏山の参道が強力で、行った人の本人の意思に関係なく、世の中の適材所に強制的に振り分けられる」的なことが書いてあります(意地悪なのでその記事は貼りませんが笑)
「パーツにされちゃう。個人的に好きだからとか未練があるからとか、現時点での生活に必要だからみたいなものは、一切根こそぎ失って、そのかわりお仕着せの運命の仕事に配置される」とのこと。

当時その記事を見て「興味ある!!」って思いましたね。
そういうのって皆さんちょっと憧れがありませんか?「使命」みたいな何かって何だろう?って。

某神社がどこかはわかるし、実際に行ったことも2~3回あるのですが、その「参道」がどの部分かまではわからず(まつい先生には聞かなかった)頑張って歩きましたがその普通の参道も結構ハードだったのでそんなとんでもない所までは絶対行けていないと思うのです。
私はすごく体力があるタイプじゃないので縦横無尽に駆け回れない。

ですが、この頃この「振り分け」みたいなものの存在について色々な面から考えさせられてます。
「運命の仕事に配置される」ってけっこうヒドイ話です。
パーツとしてはマッチすることなのかもしれないけど、個人的な想いとか未練とかは無慈悲なほどに断ち切られます。パーツに意外と夢は無い。
人というのは何やかんや言っても、どんなに年を取っても、都合のいい夢を持っているんだなあと思う・・・まつい先生が「行くのはお勧めしない」と書いてあるけど遅ればせながらよくわかる。突き詰めないでふわっと生きるのも大事だわ。

結局は「個」というものは川の流れのうちの一滴なんだな、って思う今日この頃です。逃れられない。まつい先生の記事にも「個人プレイじゃなく団体競技」とあります。
若い頃はそんなことはこれっぽっちも考えなかったのですが、人は変わるものですね。そんなことばかり考えていた日でした。

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