宿命中殺は悪いものなのか?(算命学)

本日は「宿命中殺」のお話です。お持ちの方向け。
生月中殺や生年中殺、日座や日居も含みます。

最初に「自分の命式に『宿命中殺』がある」と知ったときはどう思いましたか?

私はもう十年ちょっと前ですが、鑑定に行って知りました。
感想は「そうなんだ!いやなんかもう色々スッキリ」って感じでした。脳内でジグゾーパズルのピースがはまったようなとか、長年の便秘が解消したとか、そういう爽快感。
その時に受けた説明によるものもあるかもしれません。もうその日に「個人レッスン受けたいんですが」という話を持ち出していました。

ですが、同じように中殺を持っててそれを知ったときに「めちゃくちゃショックだった」というかたもかなり多いです。
もちろんそれもわかる。トラディショナルな見地から話を聞くと結構ストレートに「悪い」という話がどうしても出てきます。自分の持っているものにそういう話を聞くといい気はしないでしょう。
私も勉強していく中で「もうちょっといいところないですかねえ(涙)」みたいに思ったことは何度もあります。だって全部中殺だし、他も私の命式はわりと厳しめなことが多くて。
今はもうそこを1周2周して別に「そうですよね~」くらいのノリですが。

ここから先は完全に「私の見地」からの思いなのですが(※ここ大事 私の意見です)

宿命中殺持ちだって、別に誰か何か悪さをしたからそれにあたる日に生まれたわけでも、何かしなきゃいけないものを持ってきたわけでも全然無いんですよ。
もちろん家系の流れからすると「まあこういう人が生まれるというのは何かのお知らせか」と思うことはあるのですがそこはまた別の話なので別の機会に。


私の感覚だと中殺持ちの人は単に

ってイメージです。
ツルツルピカピカの完全な球体で生まれてくる人はきっといなくて、きっと誰もがどこかに凸凹を持っているんですが、中殺の人はその凸凹が多かったり凹凸の差が大きいんじゃないでしょうか。

私も最近は「私も年を取ってそこそこ普通じゃないかな」と思ってたのですが、人と話しているとおもったよりクセが強い人らしいのがわかってガックリ笑

昔の東洋的な思想だとどうしてもムラ社会とか、家族とか一族のような集団が基本なので、あまりにもそのいびつさが大きかったり、クセが強すぎてもめ事を起こす事(人)はいいことじゃなかったんだろうなとか想像。
そりゃそういうのは隅っこに寄せたくなるよな・・・(※あくまでも個人の想像です)

何が言いたいか、って「決して悪いもんじゃなくね?」ってことです。

今はちょっと時代が少し変わったので、昔だったら村八分だった性質が、そのいびつさや尖った部分を活かすことができる場合も出てきました。
東洋的な思想では「中庸」や「まんべんないバランスの良さ」を善とするので、その感覚するとどうしても美しいものではなく、自分がはみでるような思いを感じることはあると思いますが、そういうところはそういうのに合う人が間違いなく存在するし、合わない人は合わないなりにやっていける場所も間違いなく存在します。

それは「王道」とか「日のあたる場所」ではない可能性も高いですが、その辺は割り切っていただく。
(そんなところはみんながみんな行くところでもないでしょうし)

今日は「中殺」という切り口で書いたけど、他の切り口で書いても同じようなことは言えると思います。
いびつさやクセの強さを「面倒だけどそこが愛すべき部分」と思ってくれる人を大事にして、時に世間を渡る武器にしていきましょう。

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