本日18日は夜に易の読み会あります。
易をお好きな方は気軽にご参加ください。ほかの方の読みを聞くのは参考になりますよ~
梅雨も明けてすっかり夏らしくなりました。
あちい🥵
娘の学校は夏休みに入りました。弁当がないのはいいか昼ごはんの準備が増えるからトントンでしょうか。
瘴気を出しまくっていた娘は、本当に反抗期の毒気が抜けたようで、最近はたまーに、後ろにピタッとくっついて甘えてきたりするので、「えっ、なんで・・・」と私の方がビックリして思考停止してしまいます。
小さいころは当たり前だけど、さんざんまとわりついていたのが近寄ってもこなくなって数年。UFOが別人にすり替えているのではとか想像してしまうくらいです。
娘は中学の時は演劇部で、たまに役のオーディションだとか言ってましたが、今度は演劇部ではないけどまたオーディションがあるらしいのです。中心星鳳閣星の彼女もまた「表現」の人なので。
「表現」というのは怖いです。
私もこうやってブログを書いてますが、書くと言うのは結構自分丸出しになってしまうので、こんなこと書いて大丈夫なのかなこれ?😥とか、こんな下手な文を全世界に放出するのは罪では?と思うことはある。
(基本的には私の神経は何思われようが気にしない鋼鉄製なのだが、一応は普通の神経もあるのです・・・)
その話を聞いた時に娘が
「自信がないから受けるのがイヤだ」
と言ってたので、「やる前から自信があるとか言ってるヒトは天才か脳が足りていない人かのどっちかだ!」とは言い返しましたが、まあ言わんとする気持ちはよく分かります。
でもその「自信がない」との言葉から、「ああ、心の底ではちょびっとは自信があるんだな」とは思いました。
自信とまでは行かなくても、がんばっているという自負とか、矜持とか。
もし受けて悪い結果だったり、きついダメ出しをくらったら、心の底に隠した未熟な自信がパリーンとわれちゃうから。
例えばですけど、もし「今から総理大臣になれ」とか言われたら「自信がない」という言葉は出ないと思うんです。あまりにも無理なことなら自信とかそういうレベルじゃないですよね。
表に出してネガティブな反応があったらと想像すると「出すのをやめようか」と考えたくなるけど、「表現」はそれをやったら、まあ表現じゃないですね。
とりあえずは出して、壊れたら繕って、また出して・・・を繰り返さないと。
私もブログを書いては「こんな駄作をアップしてしまった・・・」と落ち、「やっぱりどうでもいいけど書くわ」と甦るという、起き上がりこぼしのようなことをたまにやってますが(その前に私のブログは表現と言ってよいかわかりません)、自信があるからできるんじゃなく、やりつづけるから自信になるのだから、娘にもめげずにやれることはやって、タフなハートを育ててほしいと願っています。