目的と手段

先日「八卦マンダラチャート作成ワークショップ」の平日バージョンに参加してくださったあざらしさんが、血湧き肉躍るようなスピード感のあるレポを書いてくれました。

あざらしさんが最後の結論にこう書いていらっしゃいます。

「そもそも」という単語を私はこの記事で何回使ったのだろうか…
(虚無顔)

ある程度しっかり時間を確保して、自分の心を見つめる、とか
あまりやる機会がないな…というひとは 一度やってみてほしい!
見つめているつもりで、見つめられていなかったり…とか。
ギャッとなってください!w
あなたのほしいものは なんでしょか!!!!!?

そうなんですよ!!!
マンダラチャートを作ってみようとすると「あれ、私って本当は何が欲しいんだろう?」といやでも考えるんです。
「私の生きる目的は○○です!」なんて即答できる人ってどの位いるのでしょうか。

人間はただの生き物の一種なので、そんなこと考えずに本能のままに従って生きるというのがもしかしたら当たり前なのかもしれません。
が、それだけではなく色々なことを思い悩むという特性も発達しました。環境も「食べていくだけ、生き抜くだけで精一杯」という段階ではなく、「どんな自分になりたいか」ということをじっくり考えるようになるのはこちらもまた当たり前なのでしょう。

あざらしさんは「ゆとりある生活」というワードを出してきました。
最初にちょっと突っ込んで聞いてみると「金銭的余裕」ということらしい。
わかる!すっごくわかるよその気持ち。お金欲しいですよね。いらないという人を探す方が難しいです。

私も長いこと「何が欲しい」と聞かれたら「お金」と答えていました。
「いました」という過去形になっているのは、子育てが大分終わって学費が大変な時期がようやく終わって、金策にヒーヒー言うことが減ったからです(実はまだ学費は多少残っていますが、かなり楽になりました)やはり2人3人重なるのはかなりきつかったです。

でも今思うと「お金が欲しい」というのは本当の望みというか目的とはちょっと違う。
「お金」の先にある望みは、私の場合は「安心して過ごせる家」なんです。若い時に家がお金が無くて揉めてばかりいたので、「金が無い」→→→「喧嘩ばかりで不幸」みたいな回路がどうも自然発生したようです(そして若い時に刷り込まれたものはなかなか修正できない)

なので私の場合は
目的「安心して暮らせる毎日」−−−− 手段「金銭的な余裕」
となるでしょう。お金のほうは手段だったのに、わりとずっと長く「目的」と勘違いしていた気がします。「安心して暮らせる」という目的は以前からそこそこ到達できていたはず。ズレた目的に向かって頑張っていたような・・・

お金が欲しい人はなんでお金が欲しいですか?
他にありそうな答えを挙げてみます。

・今の仕事を辞めたい 嫌な仕事をしたくない
・高額商品を購入したい
・やりたいこと(お金がかかること)がある
・一生遊んで暮らしたい 
・せかせかしない、ゆとりのある毎日を送りたい・・・・などなどあると思うのですが、その裏を突き詰めていくと「コアな望み」が出てくるのでは??

他にも例えば「結婚したい」とか「仕事で成功したい」なども様々な要素が隠れています。
「結婚したい」と一口に言ってもなんで?と問えば


・愛し愛される対象が欲しい
・一緒に生活を楽しめる相手が欲しい
・現在または未来の経済等現実的な不安を軽減したい
・親に安心してもらいたい 
・子供が欲しい 育てたい
・世間体などの社会的なメリットを得たい

中には「結婚という手段を使わなくても、その願いを叶えるには他のやり方があるよね?」みたいな例も出てくると思います。
目的と手段が入れ替わっている状態ですね。

マンダラチャートを作る会をやって感じたのは、こういう
「あなたのその望みは、本当に欲しいものなのか、必要なものなのか」
ということを整理するにはとても役に立つ、ということです。
ぽやーーーーっとしている望みをかなり分解できます。書くことによって見える化されることが大きい。

今回は八卦を使っていますが、それがなくてもマンダラチャートは作れるので(ネットを調べればいろいろ出てくるのではないかと思います)気になる方は個人でもやってみるといいのではないでしょうか。
ただ他の人の書いたものを見る、聞くのはとても参考になるのでこういうワークショップでやるのが一番効果が大きいと思います。
またリクエストがあればすこし時間は空けますが開催を考えますので、気軽にお声がけいただけると嬉しいです。

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